筆記本

足を運んだもの

20230318 ミナト町純情オセロ〜月がとっても慕情篇〜@東京建物Brillia HALL

はじめての劇団☆新感線を悪名高いブリリアホールで。

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幸いなことに「死」の席ではないそれなりに見やすい席で観劇。全体的にこぢんまりしていて高低差もあんまりないのに、つくりは大きめのホールのようになっていてなんだか不思議だった。直前にPARCO劇場で「おとこたち」を観たところだったので、全体的に平たい感じにちょっとびっくりした。

あらすじ(公式サイトより、一部改行など編集)

復興とともに新たな混沌が生まれつつあった1950年代の日本。シノギの世界でも血で血を洗う争いの末、新たな勢力がのし上がりつつあった! 
その中の一つが、関西の港町・神部をシマに戦後の混乱の中で勢力を拡大した沙鷗組である! その中心にはブラジルの血を引く若頭筆頭、亜牟蘭オセロ(三宅健)がいた。図抜けた腕っぷしと度胸を武器に、若頭補佐の汐見丈(寺西拓人)とシマを広げてきたオセロ。しかし、四国の新興ヤクザ六甲組に組長を射殺された現場で、オセロはその場に居合わせた町医者の娘、村坂モナ(松井玲奈)に惚れ、組を抜けてカタギになることを決意。
これが「オセロを二代目組長に」と考えていた、先代組長の未亡人アイ子(高田聖子)の恨みを買う! アイ子はモナに横恋慕する市議会議員の三ノ宮一郎(粟根まこと)も利用して、裏切り者オセロを地獄に突き落とすと心に決める......。襲名辞退を知った沙鷗組の上部組織・赤穂組は、四国から船で来襲する六甲組を倒すことを条件にオセロの足抜けを認める。そこでオセロは瀬戸内の漁師を束ねる顔役に力を借りて、六甲組を海上で迎撃! 作戦は見事に的中して六甲組は壊滅に追い込まれた!
だが、アイ子の奸計によって、オセロは次第に友や恋人に対する嫉妬、そして不信の心を掻き立てられていく。その渦は周囲の人々を巻き込み、逃れることのできない悲劇へ誘うのだった―。

公演時間が4時間もあるので途中で集中力が若干切れてしまう場面もあったが、原作がある程度わかっていればそんなときでも物語の見通しはついている(物語を展開させる人物や小道具が分かっている)状態でいられるので、事前に原作を読んでいくのがおすすめ。シェイクスピアは解釈合戦みたいなところがあるみたいなのでYoutubeなどで別のバージョンのオセロを見てから行くのも楽しそう。私はこれが初劇団☆新感線にして初オセロ。

原作の訳者あとがきで松岡さんが「オセローのmy girlというデズデモーナの亡骸への呼びかけは、そして、他のシェイクスピア劇におけるmy girlの使用例は、この悲劇の夫と妻の年齢が父娘ほど離れていることの確たる証拠にはならないまでも、傍証にはなるだろう」(p.252)と書いていたので、オセロは中年男性、デズデモーナはうら若き乙女、と思っていたが「ミナト町純情オセロ」のオセロはそこそこの若者という設定でちょっと面食らった。ただ、若いオセロと若いモナだからこそのかわいい大はしゃぎと初々しさが垣間見えるいちゃらぶシーンはマスクに感謝するぐらいニコニコしてしまった(ニタニタ、だったかもしれない)。松井玲奈さんのモナがずっととってもキュートでラブリーだった。

原作で嫉妬心に火が付くその速さに「もうちょっと導火線長くてもよくない?」と感じていたところは舞台でも同じような感想。原作だとキャシオーが若くてカッコいいからってところがオセロの不安をあおって嫉妬心に火がついた風だったが、ミナト町純情オセロでは、汐見が大卒で出自も気にしなくていいマジョリティ側の人間、という点がオセロの劣等感を刺激したということらしい。汐見の出身大学が明治大学で「大したことないって思いました?」的なツッコミが入って笑いが起きていたところ、関西だと関東の私大はそんなに有名じゃない、といういじりかと思ったら脚本家の出身大学だった。なるほど。(関西だとMARCHもよくわかってないのでは、って勝手に思っているがどうなんだろう)

それと、原作ではムーア人ということで差別を受けるオセロが「ミナト町純情オセロ」ではブラジル人とのハーフということになっていて、そしてなぜかアイ子さんマジョリティ側ではなく在日朝鮮人/コリアン(以下「在日」)ということになっていた。

オセロがブラジル移民2世で父日本人・母ブラジル人のハーフという設定に対して、父を殺されたとしても母はブラジル人なんだから日本に帰ってくる前に現地の親族頼るのでは?そもそもオセロの母はどこに?こんなに流ちょうな関西弁を話せる設定ってことはブラジルにいたときも現地の県民会コミュニティにどっぷりだった?「ハーフ」ってことで差別されてたのに?それとも幼少期に日本に帰ってきたということ?戦争の真っただ中または終戦直後の混乱期に?みたいな細かい設定がずっと引っかかってしまい(もしかしたらセリフを聞き逃したのかもしれないが)、オセロを在日ってことにすれば関西(神戸)が舞台だし色々辻褄合ってやりやすそうなのにな、なんて思っていたら、アイ子さんが「関東大震災のときにデマから逃れるようにして関西にやってきた」というエピソードを披露するのでちょっとうろたえた。

デマに人生を翻弄されながらも生き残ったアイ子さんが、夫を失った憎しみから自らデマを流して他人の人生に致命傷を与えることの悲哀、と解釈することができるのかもしれない。アイ子さん自身も布引のちょっとしたひとこと(オセロは親分をかばって撃たれたのではなくモナをかばっただけ、親分はそのせいで死んだ、とかなんとか)に翻弄されたとも解釈できるのがまた哀しい。

家に帰ってからパンフレットをぱらぱらと見ていたら、アイ子さんの背景については特に言及なし。関東大震災でデマを流され、在日がひどい目に遭ったことは常識だからなのだろうか。実際には地方出身者もあ被害者にいたりするようだから、そこは主題ではないとしてわざわざ書いていないだけかも。パンフレットの一番最後に特別寄稿として三木那由他さんがコミュニケーションとマニュピレーションの話をしていて驚いた。

悲劇、ということでオセロはモナを殺し、オセロも自殺。周りの人も誰かをかばって死んだり傷ついたり。ただ、愛し合うふたりが最後にふたりとも死んじゃうのはハッピーエンドだと感じてしまうところがあって、そういう意味では、眠るように死んでいるモナのそばでオセロが自ら喉を掻っ切って死ぬシーンにはちょっとしたカタルシスを感じてしまった。新型コロナの波がやってくる直前に観た鄭義信の『泣くロミオと怒るジュリエット*1』(在日コリアン版のロミジュリ)で、ロミオをジュリエットが死んだあとに結婚式を挙げるシーンが夢みたいにきれいだったから、モナに覆いかぶさるようにして死んだオセロを見たときにそれがよぎって、こっちのふたりも白装束で綺麗だなと見当違いな感想を抱いていた。

愛する人間の不在、それでもまだ確かに生きて存在する自分に耐えながら生き続けるよりは、何も感じないように死んでしまった方がある意味幸せでは?と考えると、いちばんの悲劇は夫を亡くしたうえに死ぬことも許されないアイ子さんだよなと思う。

全体的に関西弁は違和感がある箇所も多少あったけど、生理的に受け付けないほどではなかった。三宅健さんはガチ関東の人のはずで、ガチ関東の人はたいていアクセントが変なのに、ときどき全く違和感のない関西弁を話していたのはちょっと意外だった。他の役者さんもだけど。

最後に役者さんたちがあいさつに出てくるところで、舞台に上下で生歌唱があってそれがエンドロールみたいになっているのは初めて観る演出で楽しかった。

おわり